ネット社会と若者の思考 | 賢脳トピックス

どんどん世の中は変わっていき、うかうかしていると乗り遅れてしまいます。

受験戦争は無駄だった

今、アジアの国々をみると、韓国にしてもインドにしても過剰な受験戦争というニュースがあったりします。

中国でも、いい大学に入るとなるとかなりの競争になり、狭き門とも言われています。

インドでは、あの手この手を使って、カンニングが行われているなんていう話もあったりします。

日本でも、ひと昔前は、いい学校に入り、いい大学に行き、いい企業に勤めるのが人生の幸せみたいな考えが世間を一般に広がっていた時代もありました。

いい企業に勤める前段階として、いい学校、いい大学となるわけですが、そこには受験があり、詰め込み式、ある意味、憶えたもの勝ちみたいなテストを通っていくのです。

精神科医で多くの著書でも知られる和田秀樹氏と、脳科学者でテレビに出演もされている中野信子氏の共著である『頭のいい人、悪い人』という本の中で、二人は、受験勉強を通じて見につけたコンテンツの学力というのは、現実社会ではほとんど役に立たないと言い切っています。

知識偏重の受験制度の負の遺産

スパルタ式の塾に入り、死ぬほど宿題を出せて、上から言われた通りの勉強をしてきた子供が、そのまま大学に入り、今度はそこでいい成績を取らないとということで、教授の言うことを丸覚えするようになり、めでたく役所に入り、そしたら忖度官僚になっていたといった具合で、こうなってしまうとまさに受験勉強の弊害としかいえません。

頭が良くなりたいなら勉強をすることは大切ですが、知識偏重の詰め込み教育に沿ったインプットが多い、いわゆる知識の量が多いことが頭がいいとする風潮がまだ見られます。

本当に大切なのは、知識を加工し応用する知恵であり、知識を生かして新しいことを思いついたりできることが頭がいいことにつながります。

言われたとおりにやれば褒められ、与えられたことをひたすら覚えていた結果、自分で考えたり判断したりできなくなり、疑問にも思わず上から言われたことを丸のみし、しまいには忖度するような官僚では、知識という面では確かに頭がいいのかもしれませんが、決して国を良くしている人材とは言えず、むしろ弊害にすらなります。

KYという言葉が世間をダメにする

最近何かと耳にするのが、『KY』つまり「空気が読めない」という言葉。

ネットやSNSにおいて、ちょっと人と違う意見などを書くと「空気を読め」とか言ってボロクソに叩いてくる人たちがよくいます。

こうしたことから、若い人たちが自分の意見を押し殺し、本来新しい刺激を求めてアグレッシブなはずの若者でさえ、保守的になっている傾向があります。

世間では、多様性ということを高らかにうたってはいますが、多様性をはき違えて、みんながみんな好き勝手にわがまま放題にして秩序もなにもなくなってきてたり、一方では若者がどんどん保守的になってきているという面もあり、これらを全て、ネットやSNSのせいや、社会のせいにするのはいきすぎですが、こうした若者の思考の変化に影響しているのも事実なのかもしれません。

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