日本の教育を見ていると、良い就職をするために良い大学へという考えが今だに根強くあります。
10代だからこそもっと視野を広げるべき
人生において一番多くの経験をすべく多感な10代半ばを、受験勉強一色ということに時間を費やしてしまうことにより、視野を広げることができなくなってしまいます。
視野を広げるためには、リベラルアーツ的に広範囲な勉強をして、そこで自分の道を見定めて、大学に入ったらスペシャリストを目指すというのが、本来理想的なあり方だと思われます。
ところが、どこの大学に入ったのかというような、いわゆる偏差値が高い大学に合格し入学することが一つのブランドにように受験競争が行われていたりします。
うまく合格できた人はまだしも、そこで不合格になった人は、挫折感や虚脱感を味わってしまい、自分はダメだったとなってしまいがちです。
さらに問題なのが、大学側にもそのブランド志向があることです。
どこの一部上場企業に何人就職したというようなことが、暗に宣伝されていたりします。
そして、そうして決まった大学のブランド価値はなかなか変わらないというのも事実です。
海外では、大学は入学するよりも卒業するほうが難しいとも言われています。
日本の大学でも留年などもありますが、基本的には普通に勉強してストレートで卒業するつもりならば、そう難しいことではありません。
偏差値教育の弊害と自分の考え
日本の学生は、偏差値教育を受けていたせいか、自己主張できない学生が多いといわれています。
ブルース・リーの有名な言葉に「考えるな、感じろ」という言葉がありますが、学生は「感じるな、考えろ」というのがいいのかもしれません。
企業に就職してプレゼンを行うにしても、自分独自の考えを持ち、それを理屈だてて論じることができる能力がこれから求められているのでしょう。
「君の考えは?」と上司に聞かれて、すぐに答えられないようでは、社会に出ても仕事ができない人間ということになりかねません。
だからこそ、学生のうちに「感じるな、考えろ」で、自分の頭で考え、自分なりの意見や考えをもつ訓練をしておくことが大切なのです。
協調性も大切だけど
日本人は、コロナ禍にしても、同調圧力という言葉をよく聞かれます。
協調性は高いけれど、自己主張しない人が多い気がします。
確かに、協調性はとても大切ですし、そこが日本人の良いところでもあります。
しかし、何から何まで人に合わせられるということは、見かたをかえれば自分がないととられかねません。
会社の採用担当では、「私のいいところは協調性があるところです」という学生より、「尖っていてそれを隠すのに苦労します」というような学生に来て欲しいという人も多いようです。