ブランドというと、高級バックや高級時計などで、そのブランドにものすごい価値を見出す人がいます。
例えば、高級時計ですが、時計の機能ということを考えれば、時間さえわかればいいものなので、1000円の時計でも、200万円の時計でも変わらないじゃないかということになってしまいます。
時間だけわかればいいやという人にとっては、1000円の時計で十分ですし、こだわるというのであれば、デザインや使っている素材、歴史、雰囲気などといったいろいろな付加価値をもったブランド品が良いということになってしまいます。
一流芸能人?
テレビで、芸能人たちが、本物と偽物を区別するという番組をやっています。
本物のオーケストラの演奏を聞き分けられるかどうか、高級ワインを当てられるかどうか、高級牛肉を当てられるかどうかなど、本物とダミーがある中、どちらが本物であるかを見分けるものです。
一流の芸能人であれば、高級品はどちらか本物を見分けられるというものですが、これがなかなか当たらなかったりします。
ブランドについてうんちくを並べているような人たちが、軒並み、高級品ではないダミーのものを選んで、これが高級品だなどと自信たっぷりに言っていたりします。
米国のブランドに関する面白い実験
米国のカリフォルニア工科大学でも、似たような実験が行われています。
「5種類のワインを飲み比べてほしい」と依頼して、試飲してもらう前に各ワインの価格を教えます。
しかし、実際には3種類のワインしか洋いされておらず、その中から適当に5回選んで渡し、飲んでもらうというもので、教えている値段もデタラメになっています。
その結果、教えられた価格が高ければ高いほど、ワインを飲んだ時、内側眼窩前頭皮質という知的快楽を生み出す脳の部位がより強く活動するという結果になっています。
このように、物に対する美味さというのは、食材の化学分子による反応と生理によってのみ決まるのではなく、高級料理を食べているという実感も大きく関係しているのです。
ある意味、人間はブランドに支配されているのかもしれません。
ブランドものを持っているだけでリッチな気分になったり、自分もそれにふさわしい人間だと思うようになったりする部分がありますが、これは人間の性なのかもしれません。
自分ブランド
ブランドというと、高級バッグや高級腕時計などを連想する人も多いと思いますが、仕事に対するその人のブランドというものもあります。
あの人に依頼するんだったら間違いないよというように、名前だけで信頼してもらえるような場合も、ブランドということになります。

ブランドがある人、今までの実績などから特に信頼されている人であれば、同じ仕事、同じレベルの仕事をしたにすぎないのに、他の人よりもより評価されたりすることもあります。
スポーツ観戦などでも、この選手だったらこのくらいやってくれるだろうという期待値みたいなものがあると思いますが、そういったものが人間のブランドなのかもしれません。
自分のブランドを高めていけるよう、日々の積み重ねが大切なのかもしれません。