今とは違う江戸時代の風呂と歯磨き習慣 | 美容トピックス

江戸時代は、化粧も着ているものも現代とは全然その様式が違っていました。

お風呂に首までつかっているかげろうお銀

江戸時代はお風呂がサウナのようなものだったと聞くと、ちょっと待って!と異論を唱える人も多いと思います。

日本の時代劇、それも江戸時代、水戸の御老公が出てくる水戸黄門が有名です。

その水戸黄門の見どころといえば、助さん格さんが「静まれ!静まれ!」と印籠を出すシーン、うっかり八兵衛が美味しそうに団子を食べるシーン、風車の弥七が屋敷の天井裏に忍び込み詮索活動をするシーンなどいろいろあります。

その中でも由美かおるさん演じるかげろうお銀の入浴シーンを見どころとして毎回お約束の有名なシーンです。

そう、かげろうお銀は、今と同じようにちゃんと風呂に首までつかり、風呂桶を使って体にお湯をかけているじゃないかと思うでしょう。

お風呂はサウナのようなものだった江戸時代初期

やっぱり、江戸時代はかげろうお銀のように今と同じく、どっぷりと首までつかって入浴していたのでしょうか。

江戸時代といっても、非常に長く1603年から15代将軍徳川慶喜が大政を奉還して将軍を辞した1867年まで265年間にもわたっています。

江戸時代の初期には、一定料金を取って入浴させる銭湯もありましたが、蒸し風呂になっていました。

首までつかる風呂の習慣になったのは、江戸時代後期になってからと言われています。

水戸黄門の時代は、すでに水戸光圀が隠居した後の話になっています。徳川光圀公がご隠居されたのは1690年、5代将軍・徳川綱吉の時代に入っています。

水戸黄門の時代は、江戸時代後期ではないので、ちょうど蒸し風呂から首までつかる風呂への過渡期だったのか、それともドラマ上での演出なのかはわかりませんが、少なくとも江戸時代初期の銭湯は蒸し風呂のような感じでした。

外の釜でお湯を沸かして、樋を伝わらせて浴室に湯気を引き込んだり、浴室にすのこを敷いてその下の水を温めて湯気を出したりしていました。

湯気により肌をふやかして、垢を浮き立たせ、よくしなうヤナギのような枝でたたいて垢を落としていたのです。

江戸時代の歯磨きはどうしていたのか

歯ブラシというと、昔は当然、ライオンとかサンスターとか花王とか、ジョンソンアンドジョンソンといったメーカーもなく、今のような歯磨き粉はありませんし、歯ブラシもありません。

察しがいい人は、「武士は食わねど高楊枝」という言葉を連想するかもしれません。
そうです、江戸時代は、歯ブラシの代わりに楊枝を使っていたのです、

楊枝といっても、爪楊枝ではなく、ヤナギの先をつぶして細い繊維状にしたものを使っていました。

先が減ったり曲がったりしてくると削り取ってつくりなおして使っていました、

歯磨き粉
は元禄時代には市場に出回っていましたが、砂に香料を混ぜたようなものでした。
しかし、若い男の白い歯はとても粋なモノとされていたので、多くの種類の歯磨き粉が市場に出回っていたようです。

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