憶えにくいものの代表例として、英単語があると思います。
英語が得意な人や、普段からよく英語に触れているような環境の人ならともかく、受験勉強や、会社から言われていやいやTOEICの試験を受けるといった人は、まずは英単語を憶えるのに苦労したりします。
わかりやすい例として、本に書いてあったこと、短い詩集でもいいのですが、本を見ずにそらで言ってごらんというと、なかなか言えないものです。
ところが勉強嫌いで記憶力がないと自称するような人でも、カラオケなどにいくと、好きな歌手の歌を、字幕もみないで1番から最後まで歌っていたりします。
情報量としては同じくらいなのに、歌ならすらすらと歌えるのに、本だとなかなかそらんじることができません。
外国語はなぜ憶えにくいのか
外国語の単語は、学習しはじめのことは、今まで見たこともない全く新しい言葉です。
一方、日本語は、今までにすでに記憶しているものであったり、記憶しているものを多く含む情報であるため、外国語に比べてずっと記憶しやすいのです。
また、すでに関連付けられている情報は憶えやすく、そうでないものは憶えにくいのです。
映像や音楽は憶えやすい
歌なら歌詞をみないで長い曲でも最初から最後まで歌えるのに、本の文章はたった数行でも覚えるのが大変です。
映像も同じで、映像は、その映像の中である場面が手がかりとなって、その場面を思い出したりすることができます。
音楽もメロディーが手がかりになって、歌詞が出てきたり、その後のメロディーが思い出されたりします。
このように、思い出しの連鎖が続いていくことにより、映像や音楽は、本に書いてある文字に比べて圧倒的に思い出しやすいのです。
つまり、すでに記憶されている情報、関連づけられている情報、手がかりを含んでいる情報、一連の情報は、憶えやすく、思い出しやすくもあります。
記憶術の原理は憶えにくいものを憶えやすくしてるだけ
多くの記憶術と言われるものは、憶えにくいものに対して、憶えやすい形にしたり、思い出す手がかりを含めたりしているだけです。
例えば、犬が寝るから犬小屋はケンネルなどという駄洒落も、「犬寝る」ということで憶えやすくし、思い出す手がかりを含めているのです。
日本書紀が編集されたのは720年ということを覚えようとするとき、720年を「何を」と憶えやすい形に変換してしまいます。
そして、「何を書こうか日本書紀」とリズミカルな言葉にし、それをイメージ映像として想像してみます。
実際に、自分がペンをとり、「何を書こうかな・・・」と思いをいいながら、「日本書紀」と書かれているノートに、文字を書き始めようとしているイメージをすれば、もうちょっとやそっとでは忘れなくなります。
記憶術とは、どうすれば憶えやすい形になるのかを追及するものといっても過言ではないのかもしれません。