私たちの健康には、健全な食事が欠かせません。
偏食をしたり、有害なものを食べていたりすると病気にもなりますし、健康な体にはバランスのとれた食事がとても大切になってきます。
安全性を考えるとき重要な食経験
現在、私たち人間が日常食べている食物はたくさんあります。
人間は、昔から食べ物を探し、それに工夫や改良を加えて、食べられる部分を取り出していくということをやってきました。
例えば、じゃがいもにしても、芽の部分にあるソラニンという有毒な部分は取り除いて食しています。
また、有毒成分を減らして、可食部を増やす品種改良などを含むべく農耕をはじめました。
普段私たちが食べている食材においても、フグのように毒があってもその部分を取り除き、可食部を美味しくいただいたりしますし、毒があったり消化吸収できないものも、調理加工することによって食べられるようにするなどの工夫もしてきました。
漢方などでは、医食同源という言葉もありますが、時代の経過とともに生理活性や毒性を専門家が精査し、特に生理活性が強いものは生薬などの医薬品とするようになりました。
このようにして、人間は長い間の食経験を得ることで、その食物が食べて安全であるか、有用であるかということが蓄積されていきます。
この食経験は、食品の安全性を考える上で、非常に重要なファクターになってきます。
一律じゃないから難しいアレルギー問題
食品の場合、注意しなくてはいけないのが、多くの人に安全で栄養価が高く、有用であるというものでも、一部の人にとっては体に良くない場合があるというところです。
これは食品に限らず、医薬品についてもそうなのですが、食品の場合は、医薬品と違って毎日食するもので、だからこそ安全性ということを考慮すると食経験というものが大事になってきます。
卵や牛乳は、多くの人にとっては栄養価が高い蛋白源ですが、人によってはアレルギー症状を引き起こす場合があります。
こうした個人による感受性も十分に配慮しないといけません。
安全と安心は違う
安全と安心は似ているようで違います。
専門家などが『安全』といっても、消費者感情でいやいや不安で『安心』できないよという場合があります。
安全は、科学的評価などで評価され、安心は個人個人の経験や得られた情報により不安に感じる程度が異なってきます。
リスクといっても、それは人によりその許容範囲であったり、それをとらえる感覚は一人一人違ってきます。
『安心安全』とひとかたまりとして捉えられることもある安心と安全ですが、科学的に安全というだけでなく、消費者が納得できる安心の根拠が重要になってきます。