考える力と発想力を奪った教育の弊害 | 賢脳トピックス

ビジネスの世界で、思考力は非常に重要になってきました。

社会が進歩し、昔は物事をたくさん知っている歩く辞書のような知識人間が重宝されましたが、今では何か調べたいとき、いつでもデスクの上にあるPCや、持ち歩いているスマホを使ってネット検索をすれば、その調べたことについては誰でも専門家と同じレベルに近い内容の知識を得ることができます。

そこで、企業では、思考力、特にその中でも論理的にものを考える力が求められるようになってきました。

頭の生活習慣病

物事を論理的に考える力は、筋道を明確に頭の中で整理し組み立てる力になります。

変化の時代、今求められている人財は、自由な発想ができる人ということになりますが、なかなか自由な発想の持ち主というのはいません。

これは一つに今までの日本の企業態勢にも問題がありました。

上司の言う事を忠実に聞いて、言われたことを着実にこなすスキルがあれば、余計なことは考えなくてよく、社長が言っているから、専務が言っているから、部長が言っているからそのとおりやればいい。

その通りにやっていれば文句も言わずに褒められるが、余計なことを考え、提案しようものなら、生意気だとか、若いのが何を言っていると言われてしまったりすることで、考えることをしなくなってしまったところが大きいのでしょう。

つまり、多くの人が頭の生活習慣病になってしまっているのかもしれません。

日本の教育制度も大問題

多くの頭の生活習慣病をつくってしまったのは、何も企業側だけの責任ではなく、日本の教育制度にも問題があります。

もちろん、個人の資質というものもあるので、何でもかんでも社会のせいにするというのはいかがなものとは思いますが、まあ、社会が悪いということにすればストレスのはけ口になるのも事実です。

日本の教育は知識詰め込み型の知識偏重、それに加えて一問一答主義を小さいときから植え付けてきました。

知識偏重の教育は考えることよりも覚えることを重視し、とにかく何でもかんでも暗記し、多くのことを覚え知識がある人間が、テストでも良い点を取り、頭がいいとされてきました。

しかし今やネットで何でも検索できるじたい、いろいろなことを知っているか知らないかというよりも、その知識にいかに付加価値を付けられるかということのほうが重要になってきました。

そして、何でも正解が一つだと決めつける教育方法にもあるかもしれません。

一問一答にこだわると発想の芽を摘んでしまう

例えば、試験問題で、次の空欄を埋めよという問題が出たとします。
□肉□食

これを「焼肉定食」とか書いたら、不正解にしてしまう先生も多いと思います。

「弱肉強食」以外は不正解として、中にはふざけているのかと逆に怒ってくる先生もいるかもしれません。

実社会のビジネスにおいては、いろいろなことを多面的に観察しながら思考を深く掘り下げていく必要があり、そうしないと本質にたどりつくことはできません。

一つの問題が起こった時に、解決法が1つということはあまりなく、いくつもの解決法の選択肢があるはずです。

ところが一問一答が染みついてしまっていると、1つの解決法だけに固執してしまい、問題の解決が遅れてしまうということもでてきてしまうのです。

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