世の中には名言がいっぱいありますが、人の道や人生について説くのが仕事のような僧侶に関したエピソードも数多く起こっています。
劣等感で悩んでいる人へ
人は他人と自分を比較して、劣等感を感じることがあります。
しかし、度が過ぎてしまい常に劣等感に悩んでいる人もいます。
昔、劣等感に悩んでいる武士が、臨済宗の僧侶である沢庵のもとを訪れました。
そんな沢庵のもとを訪れた武士が悩みを打ち明けます。
「私は剣術が不得手で、教養もありません。だから他人に対して自分が劣っているといつも感じています。この思いを断ち切るためにはどうすればいいでしょう。」
そこで沢庵は、次のように答えました。
「体にアザもシミもホクロもない人を探しなさい。その人のオヘソのゴマを煎じて飲めば、その思いは断ち切れます。」
もちろん、生まれたばかりの赤ちゃんならいざしらず、体にアザもシミもホクロもない人なんていません。
つまり沢庵は、人間の体には大なり小なり、アザやシミやホクロがあるのと同様に、誰でも劣等感があるということを相談しにきた武士に伝えたのです。
劣等感があるのは当然で、ないほうがおかしいというわけです。
そのことに気づけば、心が楽になり、自分に自信が持てるようになるのです。
他人と張り合うと不幸の連鎖が始まる
沢庵は、次のようなことも言っています。
「勝ち負けにこだわってはならない。勝っても喜ばず、負けてもむくれるな。」
人間は、他人と張り合おうとする動物です。
でもそんなことをしていると、どこかで無理が生じてきますし、他人と比較して一喜一憂を繰り返しているようでは、永遠に心に平安など訪れません。
仕事などで、同僚が先に営業ノルマを達成したりすると、悔しさでいっぱいになり、同僚を追い越そうと頑張ります。
そして、同僚以上の好成績をあげると、今度は優越感に浸ります。
ところが間もなく、同僚がそれ以上の好成績をあげたら、再びくやしさがこみあげてきて、同僚を追い越そうとします。
こんなことの繰り返しです。
これでは、労働者は経営者の思うツボです。
結局、こんなことの繰り返しで、心身ともに疲弊してしまうのです。
他人と張り合わず、勝ち負けにこだわらなければ、マイペースで進んでいくことができますし、無理に張り合わなければ、負けた相手から恨みを買う心配もありません。
人生、負けたほうが得することも多いぐらいに考えておくと、心が楽になるかもしれません。
物事を多角的に見る
沢庵のエピソードをもう1つご紹介しようと思います。
沢庵のもとに、いつも取れたての大根をお布施の代わりに持ってくる農民がいたのですが、この大根が本当においしく、沢庵はそのお礼としてその農民に幕府の役人からもらったお酒を渡しました。
するとその農民は、「私はお酒が飲めませんので」と受け取りを拒否したそうです。
そこで沢庵は、次のように言いました。
「お酒というものは、飲むためだけにあるのではありません。ケガをしたときにはよい消毒薬になります。家に置いておくと、何かと重宝するものです。」
農民はなるほどと納得し、喜んでお酒を持って帰っていったそうです。
お酒は飲み物だという固定概念にとらわれず、物事を多角的にみることで、新たな発見ができるのです。
空のペットボトルも、お湯を入れると湯たんぽになりますし、停電のとき懐中電灯を水を入れたペットボトルに当てると光が散乱して明るくなります。
何事も多角的に見るクセをつけると、世界が広がるのです。