人と人とのコミュニケーションということで、よく出てくるキーワードが『傾聴』です。
つまり、相手の話に耳を傾け、共感してあげることで、相手は心を開いて、いろいろと話してくれるようになるというものです。
ほとんどの場合、『傾聴』することで人と人とのコミュニケーションが円滑に進むようになっていきます。
ネガティブな高齢者と傾聴
よく、高齢者の中にはネガティブで、「隣の家がうるさくて気にいらん」とか「俺は育て方を間違えた」とか「どうせ俺はいらない人間なんだろ」といったような発言を多くされる方がいます。
こんなことを言われたら、言われたほうもたまったものではありません。
気が弱い人だとそれだけで落ち込んでしまったり、逆に向こうっ気が強い人は、何言ってるんだこのクソ爺!となるかもしれません。
こんな場合、相手を肯定して話を聞いてあげる傾聴をしていたらどうなるでしょうか?
「どうせ、俺なんかいらない人間なんだろ」という話しかけに対して、オウム返しみたいに、「そうですね。なんで俺なんかいらない人間なんでしょうね。」なんてことを言えるわけにもいかないでしょう。
もちろん、オウム返しに相手の言ったことを復唱し、話しをきき共感することは、重要なコミュニケーション手法の一つですが、そうかといってなんでもかんでも使えばいいというものではありません。
それこそおかしなことになってしまいます。
オウム返しがダメなら黙っていればどう?
ネガティブな発言ばかりする高齢者に、オウム返しでの傾聴ができないとなると、それじゃいっそう、黙ってひたすら何も言わずに話を聞いてあげればいいか言うと、そんなに単純なことではありません。
たとえ一生懸命に話しを聞いていたとしても、黙っていれば、そのことは高齢者には伝わっていません。
そして高齢者は自分の話を真剣に聞いてくれていないと思い込み、がっかりした顔をして「全然話を聞いてくれない。」となり、なおさらネガティブな発言が増えてしまうことにもつながりかねません。
しかも高齢者が家族だとすると、年がら年中ネガティブな発言につき合わされ聞かされていると、家族も参ってしまいます。
愚痴を言わないでよ!は逆効果
それじゃ、一層のことストレートに「もう、愚痴ばっかり言ってないでよ!」とか「愚痴を言わないで」と言ってみたところで、逆効果です。
あれをするな、これをしないでというのは、一般の人でも「このボタンを押さないでください。」と書いてあるのを見ると、押したくなる衝動にかられるのと同じです。
ネガティブな発言をする高齢者には、生きがいを見つけてあげる
ネガティブ発言の中には、「どうせ私なんていらないんでしょ」ということとつながりがあるもの、根本はそこから来ているものが多いのです。
したがって、高齢者が自分が役に立っているという達成感がもてるもの、そういったものをさせてあげるのが良いのです。
よく老人ホームでお遊戯とかやっていますが、これも個人差があり、そもそもお遊戯じたいがあまり好きでない高齢者もいて、そんな人に無理やりお遊戯をさせてもあまり面白くないでしょう。
一つの例をあげると、植物の世話などはいいかもしれません。
毎日自分が世話をして、植物が成長していくとなると、そこに生きがいを感じたりしますし、自分はいらない人間なんかじゃなく役に立っているんだという実感がもてるようになるのです。