化粧品の歴史、今では考えられない化粧も | 美容トピックス

日本における化粧の始まりは8世紀中ごろと言われていますが、世界はもっと化粧の歴史は古く、紀元前2920年にはすでに、古代エジプトでタールや水銀で作られて化粧品が発達していたと言われています。

紀元前1350年、ツタンカーメンの墓からは軟膏状の香粧品などを使用していたことがわかっています。

世界三大美女の一人クレオパトラも、紀元前100年ごろになりますが、すでにアイメイクをしていました。

今とはだいぶ違う奈良・平安時代

日本で化粧が始まったのが8世紀中ごろだと言われています。そのころは大陸からいろいろな文化が伝わってきていて、化粧品としても紅、白粉、朱、香料などが入ってきました。

それにより、正倉院所蔵の宝物に描かれた鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)には、眉を太く描き、唇に紅をさしている女性が描かれています。

平安時代になると、貴族文化が盛んになり、貴族階級などは、顔に水銀や鉛から作られた白粉を塗ってその白さを強調するようになりました。

また眉は剃って、額の上部に別の眉を描いたり、歯を黒く染めるいわゆるお歯黒化粧を成人の男女が行っていて、その様子はいろいろと絵巻物などにも描かれています。

さらに平安時代末期になってくると、貴族社会から武家社会となっていきますが、それとともに眉を剃ったり、歯を黒くしたりする習慣が、一般にも広がっていきました。

江戸時代の化粧事情

時代は、平安時代から鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代を経て、江戸時代に突入すると、一般庶民まで広く化粧が行われるようになっていきます。

江戸時代では、色白が美人の第一条件と言われていて、白粉化粧がよく行われていましたが、この白粉には鉛白粉がよく使われていました。

江戸時代でも、お歯黒はありましたが、既婚女性の印ということで、婚約・結婚すると女性は歯を黒く染めていました。

また子供ができると眉を剃りました。

さらに石鹸も登場しましたが、昔は麦の粉を灰汁で固めたものを石鹸として使っていましたが、一般の人達に石鹸が普及していったのは明治以降となります。

江戸時代の化粧は、今からするとユニークなものもいっぱいあり、小豆などの粉を入れた洗粉で体を洗い、さらにウグイスの糞で顔を洗うようになりました。

鉛を顔に塗ったり、ウグイスの糞を顔に塗ったり、今では信じられないような化粧が行われていたのです。

明治時代に変わった江戸の習慣

江戸時代には、お歯黒や眉剃りなどが行われていましたが、明治になり外国人もはいってくるようになると、お歯黒や眉剃りが外国人の目に奇妙に映ったこともあり、1870年には太政官布告でこれらの禁止令がだされ、ようやくこれらの習慣がなくなっていくことになります。

ちなみに、お歯黒というと、歯は白いのが綺麗だという今の感覚からいうと、理解しがたい部分もあります。

しかし、お歯黒の主成分はタンニンで、そのタンニンが長い間、歯槽膿漏や虫歯の予防につながっていたとも言われています。

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