よく人の能力に関して、「アイツは天才だ」とか、「あそこのお坊ちゃんは秀才よね」なんていう言葉を耳にしたりします。
天才と秀才はどこがどう違うのでしょうか。
天才とは
天才の代表といえば、相対性理論を確立した物理学者アルベルト・アインシュタインをイメージする人もいるかと思いますが、『天才』は、天性の才能、生まれつき備わった優れた才能、生まれつき優れた才能を備わった人物のこととなります。
もともと生まれつき備わったもので、人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物ということになります。
もうちょっとスケールを小さくして言うのであれば、学校でも遊んでばかりで勉強もしないのに、いつもトップクラスの成績の頭脳明晰な子になります。
秀才とは
『秀才』となると、天才とは違って、ちょっと勉強ができるというイメージになってくると思います。
通常の人間より秀でた才能を持っている人物や、他人よりも才能が秀でている人物を秀才と呼び、それは、天才のように天から授かったような能力ではなく、本人の訓練や努力の賜物などにより、周りよりも優れているというものです。
いわば、一生懸命に塾などに通い勉強した結果、勉強ができる子になったというのが秀才です。
凡才とは
『凡才』は読んで字のごとく、平凡な才能ということになります。
「うちの子は凡才だから・・・」というような形で、よく親が自分の子供を謙遜して卑下するようなときに言われたりします。
鈍才とは
天才・秀才・凡才はよく聞いたことがあるかと思いますが、下には下があるもので、凡才よりも下、つまり平均よりも下ということで、『鈍才』という言葉があります。
辞書を引くと、才能が鈍い、頭の働きが鈍いというような意味が書かれています。
鈍才が成功のカギを握る
『運鈍根(うんどんこん)』という言葉があります。
うどん粉のことではありません。「うん・どん・こん」です。
これは、人生の秘訣を表す処世訓で、つまり成功するには、「運気」・「鈍気」・「根気」が必要だということになります。
よく「成功できる人は、バカになれる人」と言われたりしますが、まさにそれが「鈍気」になります。
鈍くても、一心不乱に愚直にコツコツと打ち込める人が、最終的には成功をおさめるということです。
つまり『鈍才』こそ、もっともっと誇るべき才能なのかもしれません。
カミソリとナタ
よく頭が切れる人のことを、「切れ者」と言ったりします。
そして頭が切れるということから、頭の回転が速く鋭い人のことを、切れて鋭利な刃物ということから「カミソリ」と形容することがよくあります。
一方、ナタは切れが悪い鈍いというイメージがあります。
しかし、1本の木を倒すとなったとき、ナタでは木を倒せますが、カミソリでは木は倒せません。
この比喩は、大きな仕事を成功させるには、「才能」よりも「鈍気」が不可欠だという有名な教訓にもなっているのです。