畑村洋太郎氏の著書に『新失敗学』という本があります。タイトルからして、なかなかユニークな本ですが、これからの日本のあり方、若者のあり方について参考になるようなことも多く書かれています。
今求められているのは、従来型の優等生ではない
日本は明治維新になって、西洋文化を受け入れ、急速な文明の発達を遂げました。
蒸気などの技術はもちろん、社会の仕組みなど、多くを西欧から学び、西欧のサンプルを模倣して明治維新を成就させ、発展してきました。
その結果、いろいろと模索して苦しみながら、全体像をつかんでいこうとするのではなく、西欧というお手本ソツなく、要領よくなぞることができる人が、優等生として重用されるようになっていったのです。
ある意味、素晴らしいお手本を真似して、それを要領よく実行していけば、効率という面からいうと、優れているかもしれません。
教育においても、とにかく知識を詰め込んで、数学にしても、いろいろなパターンの解法を詰め込んで、いかにその定石を利用して、テストで出された問題という決められた正解を素早く出せるかで、偏差値が決まり、優等生かどうかが決まってくるのです。
学校の勉強ができるというのは、既に誰しもが納得し理解できる正解が与えられていて、いかに効率よく正確にその問題の答えにいち早くたどり着けるかということで、従来の優等生と言われる人たちは、その能力に長けている人ということになっていました。
しかし、想定外の問題が次々と起こる現代においては、決められた正解を素早く出すことが求められているわけではなく、自ら正解をつくることができる人が優等生とされる時代に変わってきました。
日本は組織や仕組みをつくるのが下手
よく日本は、個々の技術は素晴らしいものをもっているけれど、それを総括するような全体的な組織や仕組みづくりが非常に下手だと言われています。
技術などは、ある一定のレベルまではすでに先人が開発したお手本があり、それをいかに正確に素早く理解し、自分のものにしていくかという点も大きく評価の対象となります。
しかし、何か問題が起きて、それを解決するための目的として、新しい仕組みや組織を作らなければならないとなったとき、前例がなく、どうしていいかわからなくなってしまうのです。
新しいしくみをつくるには、上辺・表面だけの知識があっても意味がなく、本当に物のしくみや関連する問題とのつながりを俯瞰的にしっかりと理解しているという基礎力と、それをもとに新たなものを生み出していく力が必要となってくるのです。
福島の原発事故を振り返って
福島の原発についても、津波による浸水で地下に置いた非常用電源の機能が停止してしまった結果、原子炉内部の温度制御が不能になりメルトダウンに陥ってしまったのですが、なんで非常用電源をわざわざ地下などというリスクが高い場所に置いたのかということです。
問題は、「なんで地下に非常用電源を置いたのか」という問題点を指摘した人がいなかったため、全体像を把握しないままに、他で以前からやられいた方法、前例をもとにそれを正解とし、何ら疑うこともなく、そのまま孫引きしていたからで、実際にそういった人達が優等生として専門家となっていたからです。
日本の場合、異なる視点や仮説から俯瞰的にみて、複数の知見を組み合わせて考え、さらにそれと社会との関わりも含めて、納得いくまで考え抜いていくような人材を育てるような教育がなされてこなかったことも大きな原因の一つになっています。
俯瞰的にものごとをとらえ、仮説を立て、失敗を考え、さらに仮設の基礎をつくり、それを実行していき、それを繰り返し模索しながら、正解にたどり着いていく、こうした経験こそが、これからの時代必要なのかもしれません。
これからの時代、なんでもかんでも与えられた正解を効率よく導き出す優等生よりも、いろいろと悩みぬき試行錯誤を繰り返し、どんくさくても一歩一歩前進し、決めれた正解を素早く出すのではなく、自ら正解を作り出していく本物の優等生が必要とされる時代になってきているのでしょう。