よく学生のころに必要な記憶と、社会人に必要な記憶は違うと言われることがあります。
学生でいろいろと試験を受けるときの記憶は、とにかく参考書を片っ端から暗記して正確に記憶していることが大切で、そうした学生ほど試験でも高得点を取ることができる可能性が高く、受験でも合格する確率があがります。

しかし、社会人となると資格試験を受けるということは別として、職場でプレゼンをするにしても、営業で自社の製品を説明するにしろ、いろいろなことをいっぱい知っている単なる知識人ではいけません。
取引先にしろ顧客にしろ、相手の心をつかみ、相手にわかりやすく説明する能力というのが大切になってきます。

時代によって変わる知識社会

昔、といっても1970年代ぐらいまでは、読書家が尊敬される時代がありました。
すごく本を読んでいる人、書斎型人間が尊敬される時代で、寡黙な秀才というのが格好いいというような時代でした。

逆にもっとも軽蔑された人が、浅い知識をひけちらかして、ペラペラと発言したり、うんちくばかり語るおやじ達で、こうした人たちは周りから敬遠されていました。

普段はじっくりと音無しの構えで、それでもみんながわからないで困って質問した時に、さりげなく短い言葉でひと言情報をアウトプットような知識蓄積型人間が格好いいとされてきました。

要するに人が知らないような情報(多くは洋書などで得た知識なのですが)、それをたくさん知っていて、それをひけらかさないことが頭が良い人間として尊敬される時代がありました。

ドラッカーの登場で変わった知識社会

1970年ごろになると、世界的に有名な経済学者であるドラッカーが、情報よりも知識の重要性とその経済における意義を論じたことにより、知識を基盤とした社会が注目を浴び、1990年代に入ると、知識社会という言葉が広く使われるようになっていきます。

ここでいう知識社会というのは、単に頭の中に多くの知識を持っていることでは賢いか賢くないかが決まらず、その知識を上手にアウトプットしたり、加工したりして、そこから利潤を得ることができる人間が賢いということが言われるようになりました。

池上彰さんと専門家

いろいろな分野で専門家と言われる人たちがいます。特定のことになると誰よりも詳しく、百科事典よりも深い知識を持っています。しかし、知識社会では、自分の知識や考えを多くの人たちに理解してもらうことが重要になってきます。

どんなにすごい知識を持っていても、他の人にその知識がもつ社会への有用性が理解してもらえなかったりするのであれば、単なる物知りに終わってしまいます。

池上彰さんは、特定の分野に特化して深い知識があるわけではありません。特定の分野に限っていえば、その知識量は専門家にはかなわないでしょう。
しかし、池上彰さんは、専門家ほどの知識はなくても、他の人よりもちょっとだけ幅広くいろいろなことを知っていて、それをわかりやすく説明することができます。

今の時代は、こういった知識が求められる時代、つまりアウトプットする能力も大切になってきています。

インターネットが発達し、時代は情報を得るだけなら誰でもそこそこの情報は集められるようになりました。もちろんいかに効率よく情報を集められるか、集めにくい情報にいかにアクセスできるかという能力も大切ですが、集めた情報や知識をしっかりと理解し、他人にわかりやすくアウトプットできる能力が求められる時代になってきたのでしょう。