昔、プチダノンのCMに『頭ばっかりでも、体ばっかりでも、ダメよね♪』というものがありました。
いくら頭で考えていてもダメですよということですが、脳の進化の過程をみても正しいことなのです。
私たちは本当はどんな人間なのか、どこへ行きたいと思っているのか、そこにはどうやって行けばよいか、どんな行動をすべきなのか、そうした知性を創造するためには、洞察力や先見の明や直感というものも大切になってきます。
いくら頭で考えていても獲物は捕れない
動物は、厳しい自然環境の中で生きていかなければなりません。
例えば、食料として獲物を捕まえようとするとき、気持ちをしっかりと持って、頭を使って、体も動かさなくてはいけません。
いくら頭で考えていても、獲物を捕まえられるわけもなく、頭で考えることは必要ですが、同時に体も使わなくてはいけません。
人間の脳もこうした必然性の中において進化を成し遂げてきたのです。
スマートに生きようとする現代人の間違い

私たちの脳は、視覚や聴覚、嗅覚などでものを感じ取り、それにふさわしい感情を決定していきます。
感覚や感情は、過去の情報や記憶・知識と調整され、理性的なプロセスが行われ、感覚と感情と理性がバランスをとり共鳴しあうようになっています。
ところが、内面への関心が強くなりすぎ、周囲との関わりを軽んじ、物理的な経験から学ぼうとしなくなってくると、感覚と感情と理性のバランスが崩れていってしまいます。
しかし現代人は、なんでもスマートに物事を解決するのがカッコイイと思う風潮があります。
そして「ハートよりも頭」、「直感よりも理性と論理」、「感性よりも理性による問題解決」という考えを好み、周りの環境に応じて臨機応変に行動するよりも、計画的な行動のほうに安心感を覚え、また好みます。
頭で考えてばかりいると、現実の世界と触れ合う機会が失われてしまいます。
今の状況に見合った行動や、実体験に基づいた行動よりも、頭の中で考えた行動を優先すると、体が伝えようとする感情を読み取れなかったり、決断力に欠け、融通がきかない画一的な行動しかとれなくなってしまいます。
するどい洞察力
頭で考えるよりも、鋭い洞察力をもって、臨機応変に対応していく力こそが、「先」を読む力に必要なのです。
時代を先取りしているような人は、常にいろいろな分野にアンテナをはりめぐらし、多くの人が見逃してしまうような経験いでさえ、積極的に心を開き、何でも積極的に吸収しようとします。
そしてその中から、いわゆる第六感ともいえる新しい回路が脳に育っていくのです。
これにより、集団心理を正確に読み取ったり、未来を見通し、「先」を読む力がついてくるのです。
頭でばかり考えていたら、臨機応変に対応できませんし、「先」を読む力はなかなかついてこないのです。
世の中は、何でも知性や論理で動くものではありません。
人間は、理性で考えても最終的には感情で決めるという部分があります。
人の心理を理解し、「先」を読むという事に関しては、知性や論理も大切ですが、それと同じぐらい感性やハートも大切であり、そういったバランスがなければダメということなのかもしれません。