一人で決めたよりも、みんなで決めたほうが、間違った意思決定がなされるということがよくあります。
普通は、一人で決めるよりも、みんなの知識、経験のもとに出されたものだから、より正しい意思決定がなされたものだと思い込んでしまいがちですが、実際はそうではないということもあるのです。
集団的浅慮とは
『集団的浅慮』とは、どういうことなのでしょうか。
まずは『浅慮』ですが、思慮・考慮・熟慮というように、考え・思慮という意味を持つ『慮』に『浅い』という文字がついた熟語になっているので、「思慮が浅い」、「浅はかな考え」というような意味になります。
平たく言ってしまえば、「考えが浅い」ということになります。
つまり『集団的浅慮』とは、「集団だからこそ起こる考えの浅さ、浅い思慮」ということになります。
実際に、個人だと正しい判断ができるのに、集団で協議すると間違った判断が下ってしまうという経験をしている人も多くいると思います。
これが『集団的浅慮』または『グループシンク』と呼ばれるもので、米港の心理学者ジャニスによって提唱されてきました。
なぜ集団的浅慮は起こるのか
もちろん、一人で考えて判断するよりも、集団で協議したほうが正しい判断が下せる場合も多いのですが、集団的判断を過信すべきではなく、個人で判断したほうが実は正しかったというようなケースもあるということは、頭に入れておいたほうが良いでしょう。
それでは、『集団的浅慮』が起こりやすいケースはどういったケースなのでしょうか。
それは、『過信』・『軽視』・『遮断』が3つのキーワードになります。
『過信』は、いうまでもなく自分たちは大丈夫だという集団での無根拠な過信です。
自分たちは大丈夫だという幻想、自分たちは決めたことは最後までやるんだという集団的価値観への過剰な信念が問題になっていきます。
『軽視』は、自分たちの集団でみんなで決めているんだからということで、外部からの忠告を軽視して無視してしまうことです。
外部の人間のアドバイスに対して、何もわかっていない素人と見下して無視してしまうような問題があります。
『遮断』は、自分たちにとって不都合な情報や反対意見を遮断してしまうということです。
異論を唱えることへの圧力や、全員一致だから正しいと考えてしまう問題があります。
こうしたことから問題が起こってくるのです。
このような『集団的浅慮』は、集団の縁バーの結束力が強く、反対意見が出にくい閉鎖的な集団や組織で起こりやすいのです。
集団的浅慮で起こる問題
『過信』・『軽視』・『遮断』をした結果、自分たちの案に固執し他の案を十分に検討しない、案がかかえるリスクやコストが検討されない、非常事態での対策が考えられていないというような問題がそのままになってしまうリスクがあるのです。
さらには、目標が十分に検討されない、情報収集が乏しくなってしまう、手元にある情報から都合の良いものだけを取り上げて検討する、一度却下した代替案は再検討しないといった問題も秘めています。
不祥事を起こした企業、社会を騒がせた集団など、いろいろニュースになったりもしますが、ワンマン経営とかいうのも問題ですが、もしかしたら、この集団的浅慮という問題で起こっている部分もあるのかもしれません。