人間、どんなにできた人間でも、仙人でもないかぎり、他人の悪口や陰口は言ってしまうものです。
日常の中で、ふと他人に頭にくるようなことをされ、そのことを友達に、「今日、こんなオヤジがいてさ、これこれこうですごいムカついたんだよね。あの非常識オヤジ!」ぐらいのことは、あるでしょう。
しかし、悪口や陰口も度が過ぎたり、根拠もないのに必要以上に吹聴すると、それがイジメにつながったり、人間関係を壊すきっかけになってしまいます。
悪口や陰口を言っても自分の価値を下げるだけ
ズバリ言うと、やたら攻撃的で人の悪口や陰口をよく言う人は、未熟であるということです。
攻撃的な態度や悪口・陰口は、「自分は未熟者です」と言っているようなものです。
人格者や計算高い人はけしてそんなことをしません。そんなことしても結局は自分の価値を下げ、自分が損するだけということをわかっているからです。
ネットでの匿名による悪口は、自分の素性がわからないので自分の価値は下がらず、ストレス発散になるということで、いろいろと過激に攻撃的な発言をする人が増えてきているというのは困った現象です。ある意味、もっとも卑怯者なのでしょう。
悪口や陰口は言うことでストレス発散となることもありますが、度がすぎると、それを延々と聞かされるほうはあまりいい気分はしません。
中には、グループでその場にいない人の悪口で盛り上がったり、会社帰りの飲み会で上司の陰口で盛り上がるサラリーマンといったケースで、お互いに悪口や陰口で盛り上がるなんていう場合もありますが、いつまでもぐだぐだと、最初のうちはそうだよねと共感していても、次第に嫌な気分になってきたりする場合もあります。
グループでいない人の悪口や陰口を言って盛り上がっていても、「どうせ、こいつら、私がいなかったら同じように私の悪口言って酒の肴にでもしてるんでしょ」と考えてしまいます。
すると、「こいつら、信用ならない」となってしまうのです。
ネットで悪口を書き込む心理
最近では、匿名性のあるネットが普及してからは、平気で人の悪口を書き込み、しかもそれが事実とは異なることであったり、相手を傷つけることであったり、世間の一般的な常識からははずれた考えと言わざるを得ないような過激なものなども出てきています。
結局、誰か分からないという点では、他人からみて自分の価値を下げることにはつながりにくいかもしれませんが、自分の抱えている不満やコンプレックスが解決するわけでもなく、一時的に他人を蹴落とすことでかろうじて自分のストレス発散したりプライドを守ったりしているという自己満足の世界に浸っている未熟者・幼稚者であることにはかわりありません。
あえて陰口を叩かず擁護し人間性をさりげなくアピールする計算高い人も
そんな中、一人悪口や陰口の言い合いに参加しなかったり、陰口を叩かれている人を「そんなことないと思うよ。いいところだっていっぱいあるじゃない。」と擁護するような人は、八方美人だと思われる可能性もありますが、陰口をたたかない紳士熟女的な人だと評価を上げたりします。
自分も一緒になって陰口を叩きたいところを、グッとこらえて、擁護するような発言をして紳士淑女的振る舞いをすることで、人間的価値を上げるという計算されたテクニックを使う人もいるくらいです。
中には、本当に人間的にすばらしい人もいますが、一緒になって陰口をたたかないところまで計算して人付き合いをしている人もいっぱいいます。
陰口を言ったって、自分にとって何の得にもならないことを知っているからです。
人間的価値を下げてまで、なんで人は悪口や陰口を言うのか
誰でも、少しは他人の悪口や陰口を言ったりすることもあるものですが、常に他人の悪口や陰口ばかりの人は、周りにいる人の悪い面ばかりが目についてイライラしてしまう心理状態にあります。
結局、悪口や陰口は、ストレス発散や欲求不満の解消、傷ついた自分のプライドをなぐさめる手段などにより出てくるものなのです。
悪口や陰口は、他人の嫌なところばかりに目がいき、イライラしてしまうことから起こってきます。
つまり、自分自身の感情がマイナスに傾いている精神状態で、そんなときに悪口や陰口によってストレスを解消しようとしているサインなのです・
悪口を言い合っていると、「わかるわかるー それそれ」というように話している相手も共感してくれた場合、意気投合して仲が深まっていくという効果もあります。
人間、他人の弱点を攻撃することは本能的な快感につながるもので、他人のマイナス面を強調することによってプライドを守ることにもなります。
悪口の内容は、自分が言われたくないことの場合が多い
悪口や陰口の内容は、実際に自分が言われたら嫌なことが多いのです。
自分が言われたら、嫌なもの、傷ついてしまうもの、こういった内容のことを悪口や陰口として言うケースも多いのです。
それで自分のプライドを守っているのですが、見る人がみると、逆に自分の弱み、自分の自信がないところを相手に伝えているようなことにもなりかねないのです。