twitterで、お客様の年配の人への意見が続出しているそうです。
どんなことが問題になっているのかと言うと、
Twitterのユーザーが仕事の手際を褒められた時に素直にこう答えたそうです。
「ありがとうございます、励みになります」
そうしたら相手の年配のお客様は、
ムッとした顔で「そういうのは謙遜しとくもんだ」「可愛げがない」と怒ったそうです。
「自分なんてまだまだですよ〜」とでも言って欲しかったのでしょう。
まったくもって面倒くさい。
なら褒めるなよ!ということです。
要するに、心から褒めてなんかいない。
もし、心から褒めているのであれば、または相手を褒めて育てようとしているのであれば、
「うんうん、すごく感心したよ。これかれももっと頑張ってくださいね。」
とでも言うべきだろう。
年配の人の言い分
さて、年配の人の言い分としては、まずは自分たちも謙遜して育ってきたので、謙遜しないと、褒められて調子に乗っているとでも思うのでしょう。
ある面、日本人の良きところとして、奥ゆかしいところがあります。
よく、自己アピールという点においては、こんなイメージがあります。
日本人は自分の実力の50%くらいしかアピールしない。逆に欧米人は自分の実力を150%に誇張してアピールする。
さすがに、ちょっとオーバーですが。。。
欧米では、アピールしないなんていうことは考えられません。アピール力も実力のうちなのです。
例えば、実力が100の社員がいて、50しかアピールしない人と、150アピールする人がいるとすると、日本では50しかアピールしない人のほうが、奥ゆかしくて謙虚だと評価されますが、欧米では50しかアピールしないのはヤル気がないとみなされてしまい、150アピールする人のほうが評価されます。
しかし、日本に古来より「沈黙は金なり」という言葉があるとおり、特に昔気質の日本人は、実力というものはいたずらにアピールするようなものではなく、周りが本当に必要としたときにさりげなく発揮するものなんだという思いがあります。
出しゃばりを良しとせず、奥ゆかしいのが美徳という文化が日本にはあります。
だから、実力をアピールする人間は薄っぺらい人間、アピールせずに隠す人間は謙遜する謙虚な人間という考えがあり、「能ある鷹は爪を隠す」なんていう言葉もでてくるのです。
自分を敬ってほしい年配者の本音
ところが、若者に謙遜する謙虚さを求める年配者は、実は自分が偉い立場になりたいといった本心があるのです。
はっきり言おう!
褒めるときには、素直に褒めなさい!
じゃないと、せっかく褒めたのによく思われず、結局損をするのは自分自身だからです、
素直に褒めていれば、相手が謙遜しようが、調子に乗ろうが、関係ありませんからね。
相手を褒めることにより、
「いえいえ、私なんてまだまだです。」と謙遜させたい。
謙遜させるということは、相手に自分の立場を自ら下にすることを求めていることと同じなのです。
相対的に、自分の立場は相手よりも自動的に上になります。
つまり、立場の上の私が、立場が下であるお前のことを褒めてやろうという上から目線なわけです。
ワンパターンじゃないから面倒くさい
それじゃ、謙遜しておけばいいのねということで謙遜すると、今度は、
「素直に受け取らないなんて可愛げがないね、君は・・・」
なんてことになる。
褒めたんだったら、その後で返ってきたことに余計なことを言わなければいいのです。
一言、「次も頑張ってな、期待しとるで!」でいいのではないでしょうか。
誰からも、いろいろ言われないようにするには、
「褒めていただけるなんて大変光栄です。でも私なんぞはまだまだですので、これからも精進し、頑張らせていただきます。」
褒めていただいたことに感謝し、かつ謙遜して相手をワッショイしておけばいいでしょう。
うわーーーーー、面倒くさいwww
なら、褒めてなんかくれなくてもいいや! こちとら仕事でやってるんであってやって当たり前なんだから!
ってなりますね。