人生、何をやってもうまくいかないし、挫折ばかり。
もう嫌になっちゃうし、何もかも投げ出したい。
やめられるものだったら、いっそうやめてしまいたい瞬間もあるのが人生です。
そんな時に必要なのが、闇夜を照らすものです。
闇夜を照らすものとは、心のよりどころなのかもしれません。また、志と言えるのかもしれません。
言志四録の言葉
江戸事態の儒学者で、佐久間象山、渡辺崋山といった人達を育てた佐藤一斎という人は、『言志四録(げんししろく)』という本の中で次のようなことを言っています。
『一燈を提げて闇夜を行く。読みよを憂うること勿れ。只一燈を頼め』
昔の人の言葉で難しい感じがしますが、提灯(ちょうちん)を1つさげて、ただそれに頼っていればいいのだ。
闇夜を恐れたり、嘆いたりすることはない。
さげるべき提灯があれば、闇が深くとも、安心してしっかり生きていけるという意味になるのでしょう。
ここで問題なのが、自分自身の提灯が何かをわかっているかどうかが大きなポイントになってきます。
提灯とは、ゆずれないことであったり、よりどころとするところであったり、何か打ち込めることなのかもしれません。
闇夜を照らす光
いろいろと本を読んでいる中で、感銘を受けたりしたことがある人もいます。
先ほどの佐藤一斎は次のようなことを言っています。
『少にして学べば即ち壮にして為すこと有り、壮にして学べば即ち老いて衰えず。老いて学べば即ち死して朽ちず』
人間、一生涯学び続けることの大切さを説いたものになっていますが、こうした言葉を足元を照らす提灯としている人もいるようです。
こうした言葉は、闇夜に入ったときに何度も何度も読み直すことで、足元に光を投げかけてくれるのです。
志が闇夜を照らす
自分はこんな人間になりたい、こんなことをしたい、自分をこう活かして世の役に立ちたい
誰でも一つや二つ、こういった思いや志はあるものです。
そうした志、我欲や執着、打算といったものではない、こういったことから離れた志があれば、曇りのない光で闇夜を照らすことができるものです。
闇夜で悩んだとき、頼るべき一灯に気づき、それが何であるか見極め信じ、光を失わないように磨き続けるようにすることが人生において大切なのかもしれません。
落ち込んだとき、そこから抜け出すヒントをくれた人、どこからともなく手を差し伸べてくれた人、そういった人達も強い提灯と言えるでしょう。
また、こういう人間になりたい、こういうことがしたい、壁にぶち当たった時、志の強さが足元を照らす光になってくれるのかもしれません。