脳は、よくコンピューターに喩えられたり、コンピューターと比較されたりします。
例えば、脳の記憶はコンピューターのハード記憶で、何かの作業を行うときに作動するワーキングメモリは、一時的なメモリで、机の引き出しに入った記憶、そして机の上に出ている思考の材料となるツールというような言われ方をしたりもします。
脳はいったいコンピューター? ジャングル?
人間の脳の機能説明で多く用いられるものといえば、やはりコンピューターのアナロジーで、また逆にコンピューターの機能を説明するのに、人間の脳が使われたりするなんていうこともあります。
しかし、一方で脳がコンピューターのような人工的な知性と同じように、秩序だった手順で作動するという見解に異を唱える人達もいます。
人間は、子供に歩くことや話す音を教えたりはせず、すでに作動しているプロセスに、それが応用できる機会を与えているだけだというのです。
そもそも、コンピューター自体が人間によってプログラムされ、操作されるものなので、それを人間の脳のモデルとして使うこと自体間違っているというわけです。
そして、人間の脳は、コンピューターというよりも、むしろジャングルに似ているというわけです。
なぜ脳がジャングル?
ジャングルというと、どんなイメージを抱くでしょうか。
原始的であるとか、整理整頓されておらず鬱蒼と木々が茂っているようなイメージをもつ人も少なくないと思います。
しかし、ジャングルには、多くの植物や動物が相互に関連しあった生態的な仕事を多様に行っています。
ジャングルの木は、鳥の巣作りのために場所を提供し枝を伸ばしているわけではありませんが、鳥は巣作りのために枝を自分の有利のために使っています。
ジャングル自体が別にプログラムされたものでもなく、動物や植物に繁殖する方法を教えているわけでもありません。
どんなふうに枝を伸ばして太陽の恵みや土壌の恵みを得ればいいのかというようなことは、ジャングルに教わらなくても、それぞれの木々の脳力として備わっています。
ジャングルのような学習
多くの教育の現場では、教師が好む教え方を通して押し付けられたスキルと知識を断片的にうまく処理できるかどうかで生徒の成績が判定されたりしてきています。
しかし、生徒にはさまざまな個性があり、例えば同じ数学の問題を解くにしても、いろいろな解法があったりします。
個々のユニークな才能を伸ばしていくという点を考えると、コンピューターのような社会よりも、ジャングルのような社会のほうが面白いのかもしれません。
今までの教育、規律のとれた方法は、それはそれでメリットもあると思いますし、多様性を強調しすぎて、みんながみんな好き勝手にやりたい放題やりだしたら、それこそ収集がつかなくなってしまいます。
何事もバランスが大切なのかもしれません。