学生は、学校の部活動、友達とのつきあいがある中で、多くの科目の勉強をこなしていかなければならないのが受験勉強です。
社会人となり、資格試験ともなると、朝から夜まで仕事をする中、本当に限られたごくわずかな時間の中で勉強していかなければならないものです。
効率的に勉強するには、どうしたらよいのでしょうか。
授業の教科書をそのまま使うのはOK?
勉強をするにあたり、重要になってくるのが教材選びです。
どんな優秀な人でも、教材が間違っていれば勉強成果は半減してしまいます。
ある意味、優秀かどうかは、いかに優れた教材で勉強したかどうかの差かもしれません。
「勉強は、参考書なんか買わなくても、学校の教科書をきちんと勉強していればできるものだ」という人がいます。
確かに、学校で使う教科書は量も多く、しっかりと教科書を頭の中に叩き込んでおけば、相当量の知識になります。
また、学校教育の基本は、教科書を基準に考えられているので、原則受験勉強で出される問題は、教科書をしっかりと理解して頭に入れておけば、解けるようになっているものです。
そういう意味からすると、「参考書なんか買わなくても、教科書さえきちんと勉強していれば合格できる」というのは正しいでしょう。
しかし、成績優秀者であって要領がいいという人の中には、教科書なんてほとんど読んでいないという人もいます。
教科書は、確かにきちんと勉強していればできると思うが、教科書自体分厚くて読む気にならず、ダラダラと書いてあるのでかえって理解しづらかったり、わかりにくかったりするというのです。
ページ数も多いので、復習するときも大変です。
効率的に楽して勉強することは悪いことではない
授業で使う教科書で勉強するということは間違いではないのですが、時間がない中、もっと効率的で楽できる勉強法があるのです。
受験などは、限られた時間の中でいかに効率的に勉強するかが重要でしょう。
その道の専門家になるのならともかく、勉強の目的が受験して合格するという目的であれば、受験に合格するための手段と割り切って、いかに楽して効率的にチャッチャッと勉強してしまうかを考えることは、けして悪いことではないと思います。
勉強は、苦労して我慢して努力することが美徳だというのは昔の話です。
確かに、何でも楽をしようというのは良くないことですし、そういうクセがついてしまったら怠け者になってしまうでしょう。
しかし、ある目標ができたとき、いかにその目標に向かって、最小限の努力で最大限の効果を発揮するかを考えることは重要です。
社会にでてからもこうした思考能力・問題処理能力は重要になってきます。
与えられた課題について、最善の方法を選択して成果をあげるにはどうしたらよいかということを常に意識することこそ大切になってくるのです。
先達はあらまほしきことなり
『先達はあらまほしきことなり』は、鎌倉時代に兼好法師によって書かれたとされている徒然草に出てくる言葉です。
意味としては、どんな小さなことでも、先輩や案内人があってほしいものだというような意味になります。
先輩や案内人の教えがあり、話を聞いていれば、勘違いしたり、遠回りしなくてすんだということです。
先輩、経験者の話を聞くことで、今の時期にどんなことをすればいいのか、どんな計画で勉強を勧めればいいのか、実際にどうしてきたのかがわかるのです。
大学のテストともなると、ろくに講義も出ていなかった学生が、真面目にきちんとしかも非常に整理されたノートを作っていた学生のノートをコピーしたりしています。
ある意味ずるいのですが、こうしたノートは、分厚い教科書や参考書を読むよりも、ポイントがまとめられています。
覚えることもコンパクトになっていて、復習するのも最適です。
また、先輩や成績優秀者が使っている参考書を聞いてみるのも良いでしょう。
先輩や成績優秀者が真面目に勉強し、その中で苦労して見つけた参考書は、それなりに良いものの可能性が高いからです。
効率的な勉強法の第一歩は、先輩や成績優秀者が使っていた参考書に目を通し、それが自分に合っているかどうかを見極めるという教材選びから始まるのかもしれません。