最近の人は、コンビニで買い物をするにしても、黙って商品とお金をレジに突き出し、返ってきた購入商品とおつりを黙って受け取り、黙って店を出る。
こんな生活が当たり前のようになってきています。
職場にいっても、「おはようござます」と「お先に失礼します」以外は、仕事で必要な最低限のことしかしゃべらない人もいます。
企画のプレゼンとかでは一応きちんとしゃべりますが、休み時間の雑談などには一切載ってこず、なぜ職場で自分の家庭のこととかいろいろプライベートなことをしゃべらなくちゃいけないんだという考えの人も増えています。
特に、コロナ禍においてその傾向がなおさら強まってきていますが、人間は社会的動物であり、コミュニケーションも非常に大切なのです。
コミュニケーションをとらないのが当たり前
昔は、近所づきあいなど、コミュニケーションをとっていて、どこに誰が住んでいてなんというように、町内全員の家族構成まで把握している人もいましたが、最近は、見知らぬ人とはコミュニケーションはとらないものというように決めた生き方をしている人も多いようです。
他人の生活に対して余計な詮索はしないし、プライバシーを大切にするというものです。
これについては、個人個人の考え方なのですが、そのせいで現代の日本人はコミュニケーション能力が低下してきているような気がします。
例えば、仕事においても、隣の席に座っている相手であれば、ちょっと声をかけて話をすれば済むようなことでも、メール送信なんてことを平気でしたりしています。
たしかに、メールだと感情は伝わりにくく、余計な感情的衝突を回避できる安全策とも言えます。
しかし、こんなことをしていると、どんどんコミュニケーション能力が落ちてしまいかねません。
コミュニケーションをとらないと損

人間一人一人ができる仕事や能力なんてたかがしれています。
斬新な企画、新しいアイデアは他人と話しているなかで、それがヒントとなって生まれてきたりしますし、全くの異分野の人同士のつながりで、新しいものが生まれたりもします。
ところが、異分野の人と積極的につきあって、雑談で心を通わせ、違う世界に住むひとの話をうまく引き出せる人となると、ほんのひとりにぎりの人となってしまっているのが現状でしょう。
コミュニケーションの原点は簡単な挨拶から
コミュニケーション能力をアップしていくにも、知らない人にも積極的に話かけていくことが良いことです。
そんな見知らぬ人に積極的に話しかけられるわけないだろうという人でも、コンビニのレジの人に、お会計が済んで購入したあとに、「ありがとう」と言ってみたり、宅配便の配達員の人に「ご苦労さまです」と一言声をかけるだけでも良いのです。
別に言われた相手は悪い気はそうそうしないでしょうし、言った本人も何がなんだか意外とすがすがしい気分になっているものです。
大げさに考えず、まずは身近にいる人に、当たり障りのない簡単な挨拶をしてみるというのも良いかもしれません。