コミュ障という言葉が日常会話の中によく出てくるくらい、最近ではコミュニケーションを苦手とする人が非常に多くなっています。
人と話すのが好きというよりも、できれば人とあまり関わりたくない、自分の世界に閉じこもっていたい、極力他人とはあまり話したくないという人も多くいます。
コロナ禍で、そうした傾向が特に強くなってきているような気がします。
そんな中で、ジョークはお互いの人間関係の潤滑油的な役割も果たしています。
過剰な○〇ハラが日本をダメにする
最近は、ちょっと何かいうと、「部長、それパワハラですよ。」とか「課長、それセクハラです!」と言われてしまったりするという経験がある人もいるのではないでしょうか。
これ自体が、言われたほうがどうとるかによって変わってきてしまいます。
極端な話、ある女子社員がいて、イケメン君から「まだ結婚しないの?」と言われても、「なかなかいい人いないの。ねえ、私のこともらってくれる?」などとウィットに富んだ会話になるが、ブサイクで脂ぎった中年ハゲおやじの上司が同じことをいうと、人事部に「部長にセクハラされました!」と通報が言ったりします。
相手の女子社員との人間関係が構築できているかの差だと言われてしまえばそれまでなのですが、もし外見でそうした差別があるのであれば、それこそそちらのほうが人権問題ともいえるでしょう。
それはともあれ、こんなんだから、仕事を頼みたくてもパワハラと言われるし、下手なことを言うとセクハラと言われかねない、
そうすると、みんな仕事上最低限必要なことだけしゃべって、あとは知らんぷりという、こんな社会、そりゃコミュ障も増えるよなというような、非常にやりにくい社会にしてしまったものです。
ジョークも言えない堅苦しい世の中になってしまいました。
意外な人が冗談が通じなかったり
もちろん、冗談を言うときに、たいていは相手が冗談が通じるか通じないか判断し、この人は冗談が通じなそうだと思えば冗談は言わないと思います。
あまり知らない人には冗談は言わないほうが無難でしょう。
でも、冗談が通じそうだという人に冗談を言ったところ、意外と通じずに、冗談を真面目に受けられてしまったりすることもあり、冗談を言わなきゃよかったと後悔してりした経験がある人もいると思います。
冗談は、いわばユーモアのあるウソで、基本的にはその場を楽しい雰囲気にし、人間関係を円滑にするものですが、たやすく人を信じるタイプの人は冗談を真に受けてしまうこともあります。
冗談が通じなう人は〇〇な人?
冗談が通じない人は、ウソを信じ込みやすい人、たやすく人を信じる人とも言えますが、実は、創造力が豊かな人と強い相関関係があるということがわかっています。
ピンとこないかもしれませんが、創造力が豊かな人は、その豊かさゆえに、さまざまな話をリアルに思い描き、現実であるかのように思ってしまいます。
そしてリアルに想像すればするほど、人間はそれを現実のものとして考えてしまう傾向があるのです。
あと、冗談が通じないタイプとしては、人にあまり興味がないタイプの人です。
こういう人は、コミュニケーションは単なる情報のやりとりをする一手段として捉えているので、柔軟なコミュニケーションが苦手なのです。
〇〇ハラで過剰になりすぎ、それならば、もう仕事の情報のやりとりをする手段と割り切って考える人が増えたため、最近、冗談が通じにくい人が増えたなという印象を受けるのかもしれません。