新型コロナウイルスの影響で、自分のアピールの場がなくなったかに見えたスポーツ選手が、自分のプレーを Youtube に載せたところ、すぐにオファーの反応があったというような例があります。
チャンスがなくなったというのではなく、今までの常識にとらわれずにどうチャンスを作っていくか大切になってくる時代に入ったのかもしれません。
どうなるかわからないからおもしろい
これからの時代、「どうなるかわからない」というのが多くの人が持っている本音かと思います。
これについて、浄土真宗を確立さいた室町時代の名僧である蓮如が次のように言っています。
「わかっているようでわからない。だから、人生はおもしろいのだ。」
人生は、どこでどうなるかわからない。
幸いに見えていたことが災いとなったり、災いに見えていたことが幸いに転じる場合もある。
だから今の状況に一喜一憂してはならないと説いています。
人間万事、塞翁が馬
蓮如の言葉とほぼ同じような意味のものに、「人間万事、塞翁(さいおう)が馬」という中国の格言があります。
座右の銘にしている方もおられるかもしれませんが、平たく言えば、「禍い(不幸)や福(幸福)は予測ができないものだ」ということになります。
『塞翁』ってなんだ? 馬がどう関係しているんだ? と故事の字面だけをみるとわかりにくいのですが、エピソードがわかると納得できると思います。
『塞翁』というのは中国のとある地方に住んでいた老人の名前ですが、ある時、その塞翁の馬がが逃げてしまったのです。
しかし、その馬が優れた別の馬を連れて帰ってきたのです。
そして今度はその塞翁の子供がその馬から落馬して足を折ってしまいました。
しかしそのおかげで兵役を逃れて命が助かった。というお話です。
つまり、禍と考えられたものが福となったりと、塞翁の馬をめぐり、禍⇒福⇒禍⇒福のエピソードになっています。
この逸話から、「禍福は予測ができないものだ」ということになったのです。
災い転じて福となす
新型コロナウイルスによって、昔のように何の気兼ねもなく、神経も使わずに人と人とが触れ合って、バカ騒ぎするなんていうエンターテイメントの時代は終わったのかもしれません。
きちんとしたワクチンや治療薬が開発されなければ、もう一生、人間社会において元の社会のような、何の神経も使わずに自由にエンターテイメントを楽しむなんていう世の中は戻ってこないかもしれないという可能性すらあります。
しかし、そういう時代だからこそ、求められてくるものも変わってきますし、そこにチャンスが生まれてくるのです。
嘆いてばかりいてもチャンスは見つかりません。
こういう時だからこそ、よーし、自分も変わって工夫してこの頭脳で乗り切ってやるぞ!という人でなければ、チャンスはめぐってこないのだと思います。