人は清らかに生きていきたいという思いをもっているものです。
しかし、悲しいかな人間はついつい目先の小さな欲にとらわれてしまったり、嫉妬の海に投げ込まれてしまったりします。
時には怒りの火に焼かれたり、小さなことにくよくよしてしまったりします。
憧れの姿
理想の自分、あるべき自分、こうなりたい自分があるものの、ついつい欲望や嫉妬、怒りや恐れといったものに振り回されてしまい、自分はなんて小さいんだろうと思ってしまうこともあると思います。
こうしたことも、生命を育てていく不可欠の養分という考え方もできるのかもしれません。
海援隊の歌に、「人として」という曲がありますが、その歌詞の中で
♪鳥のように生きたいと 夕空見上げて佇むけれど
♪翼は愚かな憧れと気づく
というのがあります。
もっと早く気づけよ!とツッコミたくなりますが、まあ憧れというものがあっても、自分にないものを求めて空しくなってしまったりするものです。
蓮の花
蓮の花は、よく喩えられますが、泥の中で栄養を吸収しながら、美しい花を咲かせます。
水上に見事な花びらを開きます。
泥だらけの池の中で、汚れのない清らかな花を咲かす蓮のように、人間もいろいろ欲望や嫉妬にまみれようと、清廉に生きることができるのかもしれません。
人間ならば、欲望と全く離れて生きていくことなどできません。
でも、たとえどんな欲望の中で暮らしていても、泥だらけの池の中で美しい花を咲かせることができるのです。
柳の枝
柳の枝も、蓮の花と同様にいろいろと喩えられます。
どんなに強い風が吹いても、それをしなやかに受け流し、けして折れることのない柳は、人生の生き方の教科書と言えるのかもしれません。
大雪でどっさり雪が積もっても、強風が吹いても折れない柳、湿潤を好み、強靭でよく張った根を持っていて、倒されても埋没しても再び発芽するたくましい生命力を持っています。
柳のようにしなやかに耐える力、この力を養っていないと、欲望や嫉妬で怒りがたまり心の動きが乱れてしまいます。
そうはいっても、なかなか蓮の花や柳の枝のようにはいかないのが人間というものです。
でも、ちょっとしたときに、蓮の花や柳の枝のことを思い出してみるのも良いかもしれません。
相手の立場を考えてみることも大切です。
あの人ならきっとこうしてくれるだろうと勝手な思い込みや期待感が、それが無かった時の怒りにつながってくるということもあります。
人生、蓮や柳に見習うことが多いのかもしれません。
まだまだ人間ができていないなどと思う詰めることはなく、ありのままの自分を受け入れ、それを成長の糧にしていくしかないのかもしれません。