例えば、あるテーマについて考えるとき、個人でいろいろとアイデアを考えるよりも、集団で考えてほうが多くのアイデアが出そうですし、一見大変すぐれているように思えます。
そして、集団で考えたほうが、より良い結論にたどり着けると思い込んでしまうものですが、これは大きな間違いです。
集団より個人が優れている
集団より個人のほうが優れているというと、集団での和を大切にする日本人からすると、そんなことはないとまっこうから否定したくなる人も多いと思います。
確かに、集団で考えるほうが、個人で考えるよりも優れた結果が出るということはあります。
しかし、それを過信して、いつも集団で考えたほうが絶対により良い結論に達することができると思い込んでいると、大きな落とし穴にはまってしまうことになります。
実際、個人で考えたほうが、質的にも量的にも優れたアイデアが出せるということがわかっています。
もちろん、個人では思いつけなかったアイデアが出てくる場合もあると思います。他人のアイデアも参考にして考えるというスタンスならばよいのですが、最初からさあ集団で考えていきましょうというと、個人で考えるよりも劣ってしまう場合が多いのです。
なぜ人数が多いのに集団が個人に劣るのか
集団で考えるとなると、いろいろな弊害がでてきます。
なぜ集団で考えると劣るのかというと、その原因の1つに、どうせ誰かが意見やアイデアを出すだろうし、それに賛同してやればいいだろうという考えになり、真剣に考えたりしなくなるからです。
また集団で考えると、1つの意見に同調する人が増えてきて、その流れに意見やアイデアが偏りやすくなるからです。
そして、リスキーシフト、つまりより危険性の高い報告に意見が偏ってしまうという現象が起こりやすくなります。
周囲と自分が同じ意見であることに自信をもち、意見がどんどんエスカレートしていってハイリスクなものになってしまうのです。
さらに、コーシャスシフトといって、より保守的で安全性が高い方向に意見が偏る傾向もでてきます。
リスクを回避したいという流れになり無難にまとまってしまいがちになるのです。
例えば、会議で意見を出し合うときも、その場で意見を出し合うというよりも、前もって個人個人でアイデアを考えてきてもらって、それを印刷物として配布し、その印刷物をみて、さらに自分の意見やアイデアをブラシュアップした上で、意見やアイデアを出し合っていくなど工夫をすると良いでしょう。
話した物勝ち
集団で考えると、どうしても口数が多く話たもの勝ち、または声が大きいもの勝ちということになりやすく、みんなそれに引っ張られやすくなってしまいます。
多く話した人よりも、デカイ声でしきりに主張を繰り返していた人よりも、口数は少なく静かだが、的確に的を射た優れた意見が出されたとしても消されてしまうのです。
そんなくらいであれば、個人でとことん考え抜いたほうがいい場合も多いのです。
集団でアイデアを出しあい、話し合うということは、自分には思いつかなかったアイデアに出会うきっかけにもなり、視野も広がり、良いことなのですが、それには落し穴もあるということを充分理解しておく必要があるのです。