ジョハリの窓で大切なのは盲点の窓 | 薬剤師トピックス

浄土真宗の僧侶に蓮如上人という有名な僧侶がいます。

この僧侶いわく、
人の悪ろき事はよくよく見ゆるなり。
我が身の悪ろき事は覚えざるものなり。
と説いています。

つまり、他人の欠点はよく見えるものですが、自分の欠点はなかなか気づかないということです。

蓮如上人のトンチ比べ

さて、この蓮如上人がどういう人だったかというと、ちょっとしたエピソードがあります。

トンチと言えば、アニメにもなった一休和尚という僧侶が有名ですが、実は蓮如上人は一休和尚とトンチでからんだエピソードがあるのです。

一休和尚は、『この松を真っすぐに見た者には、金一貫文を与える』と、立て札立てました。
人々は、松の木にハシゴをかけたり、寝転がったり、逆立ちしたりと、いろいろしてみるものの、松を真っすぐに見れなかった。

そこへ蓮如上人が通りかかり、『わしは真っすぐに見たから、一貫文をもらってこよう』と言ったのでした。
一休和尚は、立て札の裏に『だだし、蓮如上人は除く』と書いてあったそうです。

蓮如上人の答えは、「曲がった松を、『なんと曲がった松じゃのー』と見るのが、真っすぐな見方だ。曲がった松を真っすぐな松と見ようとするのは曲がった見方。黒いものは黒。白いものは白と見よ。ありのままに見るのが正しい見方なのだ」
ということでした。

ジョハリの窓

話は脱線してしまいましたが、他人の欠点はよく見えるものですが、自分の欠点はなかなか気づかないということに関連して、心理学では有名な『ジョハリの窓』というものがあります。

「対人関係における気づきのグラフモデル」のことで、人間には4つの窓があるというのです。

自分で自覚していて、他人も気づいている、自他ともに認める開かれた自分、つまり公開された自己にあたる『開放の窓』
自分だけが知っていて、他人にはわからない自分、つまり隠された自己と言うべき『秘密の窓』
他人は知っているけど、自分は気づいていない自分、つまり『盲点の窓』
自分も他人もわからない自分、つまり誰からもまだ知られていない自己にあたる『未知の窓』

大切なのは盲点の窓

人間関係において、大切なのは『盲点の窓』です。

人間は、自分のことは自分が一番よく知っている気になってしまうものです。

しかし、案外気づかないことや見過ごしてしまっているところがたくさんあるものです。

また、そうした部分こそ、他人は意外と敏感だったりします。

こうした『盲点の窓』を指摘されたとき、素直に聞く耳を持つことが、自己成長の上でも大切なことなのです。

『盲点の窓』は、自分では気づいていない自己の欠点だったりするので、反発したくなってしまうものです。
なかなか難しいものです。

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