世の中にはいろいろな名言やエピソードがあります。今回は、その中から謙虚さとおもてなしに関連するような名言・エピソードをご紹介します。
人は謙虚で快適な気持ちにさせてくれる人を応援する
とある航空会社のCA(キャビン・アテンダント)が新聞に面白い記事を載せていました。
それによると、ある時お客様として中間管理職の男性であるAさんとBさんがファーストクラスに搭乗してきたそうです。
しかし、AさんとBさんは、まるで正反対とも言うべき感じでした。
Aさんの方は、立派な身なりをしていましたが、CAに対する態度は傲慢で、何かにつけて「遅い!」「サービスが悪いぞ」と文句ばかり言っていたそうです。
一方のBさんは質素な格好でしたが、CAに対して常に「おいしいワインありがとう」「わざわざお箸を用意してくれて助かるよ」と感謝して謙虚に接していました。
みなさんなら、AさんとBさん、どちらの人を応援したくなるでしょうか。
実際、後でわかった話なのですが、AさんとBさんは同じ会社のエリートだったのですが、Aさんは間もなく左遷されてしまい、Bさんは取締役に昇進したそうです。
もちろん、この二人の明暗を分けた理由はわかりませんが、人に対する接し方が遠因になっているような気がしてならないと、その記事を載せていたCAは結んでいます。
どんなに立派な格好をしていても、傲慢な態度をしていては人の心は離れていってしまいます。
下手をすると恨まれ、足を引っ張ってやろうと思う人も出てくるかもしれません。
身なりが質素でも、感謝の気持ちを忘れず、謙虚な姿勢であれば、快く応援しようと思うようになります。
自分を快適な気持ちにさせてくれる人を応援したくなるというのが人情というものです。
人を外見で判断してはいけない
人を外見で判断してはならないということに関連した言葉の中に、親鸞の名言があります
親鸞は名言で『賢者の信は、内は賢にして外は愚なり、愚禿(ぐとく)が心は、内は愚にして外は賢なり。』というものを残しています。
意味としては、「真の賢者は、内面は素晴らしいのに外からは愚かに見える一方、愚かな人は、内面は愚かなのに外見は取り繕っているので素晴らしく見える。」ということになります。
つきあう人を選ぶ時は、外見の見栄え・賢そうかどうかに惑わされてはいけないということです。
だからと言って、外見が愚かならば、内面が賢いとも決して言えません。むしろ、外見が変であれば、たいていは内面も変ということがほとんどです。
親鸞の言っている愚かな人とは、変な人という意味ではなく、普通に見える人ぐらいの意味でとるべきなのでしょう。
千利休のおもてなし
東京五輪が決定となったとき、滝川クリステルさんの『お・も・て・な・し』というジェスチャーを記憶している人は多いと思います。
おもてなしに関するエピソードを一つ紹介します。
ある大名が人をおもてなしする上で、一番大切なことは何かということを訪ねたとき、利休は、翌日に前田利家様と徳川家康様をおもてなしするので同席するように言ったそうです。
その大名が翌日、茶会に同席したところ、利家には甘い饅頭が、家康には塩豆が用意されていました。
利休は茶会の後、その大名に
「利家様は甘いものがお好き、家康様は甘いものが苦手です。このように相手の立場になって物事を考え、相手はこうしてもらえるとうれしいということに敏感になるのが、簡単なように見えて、実はおもてなしの極意なのです。」
と言いました、
孔子は、「人間は常に相手の立場に立ち、相手の気持ちを思いやることこそが重要である」と説いています。
相手の心情を少しでも理解するように努め、こういうとき、こうしてあげたら喜ぶだろうなということを一つでも実践することで、人間関係がうまくいくようになるのです。