『脳化』という言葉は、養老孟司さんの著書『唯脳論(ゆいのうろん)』の中で出てきます。
脳化社会とは
『唯脳論』では、文化や伝統、社会制度はもちろん、言語、意識、心など人のあらゆる営みは脳の構造に対応しているという考え方で、「脳という構造が心という機能と対応」しているとしています。
そして、現代社会は近代的なビルや構造物をあちこちに建て、人間は己の意のままにならぬ自然から開放されるために人工物で世界を覆おうとしてできあがった世界が、『脳化社会』だとしていて、すべての人工物の仕組みは脳の仕組みを投影したものであるとのことです。
脳化社会の特徴
『脳化社会』の特徴は、「人工空間の成立」、「仮想空間の成立」、「自然の排除」であり、まさに現代社会といえるでしょう。
都市部はビルや高速道路など人間が作った人工物で埋め尽くされ、チャットGPTなどのネット空間に代表されるような仮想空間が広がりを見せている一方で、どんどんと土地開発などで自然の排除がされています。
養老孟司さんは、「中枢は末梢の奴隷である」という言葉も述べています。
脳と末梢神経の関係のことなのだそうですが、個体として生きるなら、中枢にしがみつくよりも末梢としての主体性を持って生きたほうが居心地が良さそうです。
日本は、企業が「お客様は神様」と言ってみたり、政府が「国民に奉仕」ということを言ってみたり、いかにも「中枢は末梢の奴隷である」といわんばかりにふるまっている中枢(企業・政府)という感じですが、本当に個人個人の主体性、末梢を大事にしているのでしょうか。
企業や政府が大事にしているのは、明らかに、お金の払い主としての顧客、票の持ち主としての国民、つまり人を個人としてみているのではなく、単なるデジタルな情報として人を見ているに過ぎないような感じがします。
本体と情報があべこべの脳化社会
養老孟司さんが、銀行に行った時、手続きの途中で本人確認の書類を求められたそうなのですが、あいにくその日は運転免許証を持っていなかったそうで、「僕、今日は免許証、持っていません」と事務員の人に言ったところ、「困りましたね。養老先生本人だとわかってるんですけどね」と言ったそうです。
免許証のみならずマイナンバーカードもしかりですが、養老先生本人だってわかっているのに、本人確認の書類が要るというのは非常に馬鹿らしくおかしなことで非効率的ですね。
つまり要求されているのは、生身の私ではなく、情報として個人だということです。
マイナンバーカードとか、デジタルとか、一見便利でカッコいいことを言って、「脳化社会」に突き進んでいってる現代ですが、災害で電気がストップすればもちろんですが、そうでなくても、サイバー攻撃を受けたら、あらゆるシステムがダウンしてしまい大パニックになってしまいます。
『脳化社会』が本当に良いものなのか、もう一度見直すことも大切なのではないかと思います。