〇〇浴ということは、〇〇を浴びるという意味になります。
日光浴であれば、文字通り、日光を浴びるということになります。
栄光を浴びるってどういうこと?
『栄光浴』という言葉を考えると、文字通り、栄光を浴びるということになります。
栄光を浴びるとはどういうこと?となりますが、これは、他人の栄光にあやかり自慢するというようなことになります。
つまり、『栄光浴』とは、自分ではない他の人が放っている栄光を、自分も浴びようとする傾向のことで、一般的に高い評価を得ている人や集団に対して、自分を関連づけて、その関連を強くアピールすることになります。
わかりやすく言うと、例えば、「私、イチロー選手と同じ学校へ行っていて、学生時代のイチローのことよく知ってるのよ」というような感じです。
誰にでも栄光浴で印象操作しようとする傾向はある
イチローまでいかなくても、「俺、知り合いの芸能人がいるんだよ」とか「友達にモデルがいるんだよ」とか「有名な学者と知り合いなんだ」といった具合に、有名人・著名人との関係を言いふらす人がいます。
これは、栄光浴の気持ちが強い人で、こういった人は、逆に評判の悪い人や評判がよくない人とは距離を置こうとする傾向があります。
なぜならば、親しくしていると自分の評判も低くなるからです。
程度の違いこそあれ、このように他人から見た自分の印象を操作しようとする自己呈示の傾向はこうした傾向は、誰にでもあると言われています。
栄光浴とは別に、脚光を浴びている人がいた場合で、それがライバルであったり、身近の人であった場合、それにあやかろうとするのではなく、嫉妬したりすることもあります。
そして、それは悪口を言ったり、ケチをつけるというネガティブな行動につながってしまいがちになります。
こうした行動が強くなりすぎないよう、注意したいものです。
栄光浴にしろ、嫉妬にしろ、それをバネにして、自分を磨くモチベーションにし、自分を高めるきっかけにしたいものです。

代表的な自己呈示
自己呈示には、自己宣伝、示範、威嚇、取り入り、哀願などがあります。
自己宣伝は、自分の能力や魅力、影響力が実際以上にあるように見せかけようとする行動になります。
示範は、自分が社会的に勝ちがある立派な人間であるかのように見せかけようとする行動になります。
威嚇は、自分が相手を強制する権力や権限をもっているかのように見せかけようとする行動になります。
取り入りは、ことが有利に運ぶよう相手に取り入って、認めてもらおうとする行動になります。
哀願は、自分があわれな存在であることをアピールして、同情や協力を促す行動になります。