最近、なんでも「それは自己責任の問題」という言葉が聞かれます。
「自己責任」という言葉ですが、責任の所在ということが大きなキーワードになってくるのです。
独自で紛争地帯に行き武装勢力に拘束された人たち
みなさんは『自己責任』という言葉に対して、どのようなイメージを持っているでしょうか。
『自己責任』という言葉を国民に押しつけ、ろくな援助もせずに見捨てる冷たい政府、こんなイメージを政府に持っている人も決して少なくないと思います。
『自己責任』についての賛否はおいておいて、『自己責任』という言葉がよく使われるようになったきっかけに、以前独自で紛争地帯に行った人が武装勢力に拘束されたという事件がありました。
「自己責任だ」という言葉で世論が扇動されましたが、「自己責任」という言葉により、独自で紛争地帯に行った人は、援助よりもむしろ批判の対象になりました。
つまり、考え方としては、「そういった事態になった原因はどこにあるんだ?」ということが大きな問題で、それにより、援助を行うかどうかの判断基準にもなってくるということです。
「あんなに、政府が行くな行くなといったのに、それでも行って拘束されたんだから、それに国の血税を使うのはおかしな話だ」という意見もたしかに筋が通っています。
いずれにしろ、ここではこの事件や「自己責任」ということの賛否はおいておいて、その言葉のもつ意味についてもう少しみていくことにします。
自己責任に関連した実験
自己責任の心理ということで、パメラ・ドウリーの実験というものがあります。
これは、250人の学生を集めて行われた実験で、この250人の参加者たちにHIVと診断された患者についての物語を読んでもらいます。
この物語は5パターン用意されていて、いずれもHIV患者の話ですが、感染した原因が違っています。
その後、参加者にこの患者を援助したいかどうかを尋ねたのです。
すると、「輸血によって感染した」というパターンに対しては、患者への援助を申し出たのに、「性交渉やドラッグで感染した」というパターンに対しては、感染したのは自己責任だとして援助を申し出なかったという結果が出ました。
つまり、その原因が本人にない場合は同情という感情が生じ、逆に原因が本人にあると判断した場合は嫌悪感という感情が生じ、それにより援助行動に大きな差が出たわけです。
まあ、予想通りの結果といえば、そうなのですが、責任の有無の判断は、周りの人の援助行動に大きな影響を及ぼすということがわかったのです。
自己責任という言葉は慎重に考えるべき
もちろん、HIVの患者の例は、極端な例かもしれませんが、周りの人間は、本人の不注意や軽率な行動が原因で起きた問題は、本人が解決すべきであるという考えを持っている傾向があるということがわかります。
そうしたことから、不注意な行動や軽率な行動には十分注意することが大切であると同時に、その行動を起こした背景には、いろいろな事情も存在します。
単に一言で「それは自己責任だ」ということで片づけるのではなく、その言葉によって周りの援助にも影響を及ぼす可能性があるということも考え、そういった行動に至った背景や事情も十分に考慮し、いたずらに世論を扇動するのではなく、俯瞰的に物事を見ていくということも重要なことなのでしょう。