

スピッツの名曲『チェリー』は、1996年にリリースされてから30年近くが経とうとしています。
今でも、春が近づき、街に淡いピンク色の蕾が膨らみ始めると、脳内では軽快なアコースティックギターの音が再生し、思わず口ずさんでしまうのが、スピッツの『チェリー』です。
曲のタイトルである『チェリー』は「さくらんぼ」で、しかも歌詞の中に「桜」という言葉は一箇所も登場しないのに、序盤の軽快なリズム。そしてサビの部分の「♪愛してる~ の響だけで~」といった所を聞くと、桜の枝に花が満開に咲いているイメージや、舞い散る桜吹雪を連想し、期待と不安が入り混じった入学・入社の季節を強く想起してしまうものです。

スピッツの曲のタイトルは、変わったもの、一見何なのかわからないといったものが多いし、またそれがスピッツ節の真骨頂ともいえる部分なのかもしれませんが、草野マサムネさんは、この曲のタイトルを付ける際、あえて「桜」ではなく『チェリー』を選んだと言っています。
草野マサムネさんがインタビューなどで語っていたのは、チェリーという言葉が持つ「バージン(初心者)」や「純潔」といったニュアンスで、春は、多くの人にとって「何かの初心者」になる季節ということです。
新しい学校、新しい職場、新しい街・・・昨日までの自分を脱ぎ捨てて、まだ何者でもない自分として一歩を踏み出すその初々しさと、少しの心細さ、その心情をうまく歌にしたのが「チェリー」なのかもしれません。
桜の花についても同じことが言え、冬の厳しい寒さを耐え抜き、一気に花開かせる「始まり」の象徴の季節です。
「桜」ではなくあえて「実」の名前である『チェリー』をつけることで、花が散った後に実を結ぶという「未来への継続性」を暗示しているというように解釈することもできるかもしれません。
「君を忘れない 曲がりくねった道を行く」
この冒頭の一行だけで、私たちは「去っていく者の背中」と「それを見送る風景」という日本の春の風景が連想され、それにふさわしいのはやはり桜というわけです。
「産まれたての太陽と 夢を渡る黄色い砂」
うん? チェリー⇒春⇒黄砂⇒黄色い砂 それが夢を渡る?
一見、何のことだかわからないスピッツ節の歌詞に、解釈する楽しみ、奥深さが出ています。
スピッツの歌詞の解釈は人によっても異なってくるところが面白いのですが、私の解釈では、やはりこの黄色い砂は黄砂という結論になっています。
産まれたての太陽は、文字通り「日の出」のことでしょうし、それは新しいスタートの象徴でもあります。
「日の出」とストレートに言わずに「産まれたての太陽」ということで、初々しさ、まだ光が弱く、頼りない、希望に満ちているけれど、どこか危うい初々しさがこの部分だけで想起できる絶妙な言葉選びになっています。
「黄色い砂」は、春の風物詩の黄砂が連想されますが、その黄砂といえば景色を霞ませ、視界を遮るものです。
それに「夢」という言葉をかけて、実体のない場所を歩くとき、足元は砂のように不安定で、視界は黄色くぼやけている不安感が、これから頑張るぞというポジティブな気持ち、夢を相まって、希望と不安感という気持ちをこの一行だけで見事に表しています。
「騒がしい未来が 僕を待ってる」
ここも何となく違和感があるのは、「未来」という言葉を使っておきながら「騒がしい」という言葉選択をしているところが、さすがスピッツ節です。
本来、未来を語るなら「輝かしい未来」とか「明るい未来」とか言いたくなると思いますが、あえて「騒がしい」をチョイスしているセンス。。。
そこで「騒がしい」という言葉と対比する言葉を考えてみると「静かな」ということになります。
そこからこれまでの「君」と過ごした時間は、静かで、完結した世界だったけど、そこから一歩外へ踏み出すことは、他人との摩擦や、予期せぬトラブル、世の中の喧騒に身を投じることになり、「騒がしい」という言葉から、それだけ多くの出来事が起こるという不安、でもにぎやかな「騒がしい日々」への期待感と覚悟が込められた言葉なのかもしれません。
「愛してるの響きだけで 強くなれる気がしたよ」
さて、いよいよサビの部分ですが、軽快なテンポから、一気に開けたように、そして草野マサムネさんの透明感のある声と相まって、桜の花がみごとに咲き乱れているような雰囲気、または桜吹雪の中にいるような感じにもさせてくれるメロディーの中、春特有の「根拠のない万能感」と「裏側にある脆さ」がみごとに同居しています。
満開の時はこの世の春を謳歌するような圧倒的な美しさを見せ、でも風が吹けば一瞬で散ってしまう、圧倒的万能感と儚さが同居した存在、それがまさに桜、「チェリー」なのかもしれません。
その「一瞬の輝きに縋って、明日への勇気に変える」という心の動きは、まさに桜を愛でる日本人の感性と見事にシンクロしているのだと思います。
発売されて30年もたつ今でも、色褪せず多くの人から支持されているこの曲は、直接的に「桜が綺麗だね」と言うのではなく、その花の下で交わされたであろう言葉や、胸に秘めた想いの「響き」にフォーカスした奥ゆかしさが、『チェリー』というこの曲のタイトルとピッタリ一致しているのかもしれません。
リリースから30年。時代は大きく変わり、今やSNSやAIの時代。
SNSで簡単に繋がれるようになり、「君を忘れない」なんてことを誓わなくても、相手の近況は画面越しにリアルタイムでわかる時代。
それでも、色褪せずに依然として『チェリー』を聴き、そこに桜の影を見るのはなぜでしょうか。
それは、どんなにAI・テクノロジーが進化しても、「新しい季節、一人で新しい道を歩き出す時の不安感」はどの時代も不変だからだと思います。
そしてその不安を癒やしてくれるのが、毎年変わらずに咲く桜であり、耳元で鳴り響く軽快な『チェリー』のメロディーだからなのかもしれません。